議員紹介

伊神 邦彦

市民が、議会だ。
市民の願いが反映された、市民が主役の名古屋市議会を目指します。

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生年月日 昭和21年11月13日
事務所 名古屋市千種区日進通1-25
TEL 052-762-3300
FAX 052-761-8618
選挙区 千種区
当選回数 8回
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役職

  • 名古屋市会土木交通委員会
  • 名古屋市会安心・安全なまちづくり対策特別委員会
  • 愛知県後期高齢者医療広域連合議会議員
  • 名古屋市会学童保育議員連盟副会長
  • 名古屋市アーチェリー協会会長
  • 名古屋市レスリング協会会長
  • 愛知県ドッジボール協会副会長
  • 名古屋市公設市場協会顧問

経歴

平成3年4月〜 名古屋市会議員に当選以来 8期連続
平成8年10月〜平成10年5月 一般会計等決算特別委員会
平成9年5月〜平成10年5月 環境水道委員会 委員長
平成12年5月〜平成10年5月 土木交通委員会 委員長
平成13年6月〜平成14年5月 愛知県競馬組合 議長
平成17年4月〜平成18年4月 自由民主党名古屋市会議員団 団長
平成19年4月〜平成20年4月 名古屋市会自民党 幹事長
平成21年5月〜平成22年5月 名古屋市会 副議長
平成23年6月〜平成24年5月 名古屋港管理組合議会 議長
平成24年5月〜平成25年5月 名古屋市監査委員
平成25年4月〜平成26年4月 自由民主党名古屋市会議員団 団長
平成30年4月〜 自由民主党名古屋市会議員団 副団長

メッセージ

私は、一時の享楽や発展ではなく、継続的に安心して健康な暮らしを営むことのできる名古屋市をつくることが職務だと考えています。
今日も大切ですが、明日の子どもたちにもつなげることができる社会が大切なのです。
どのような政策にもいい面と悪い面があります。
両面を浮き彫りにして市民のみなさんに説明し、討議を重ねることが議会の役割りだと考えています。
市議会は未来への責任を果たす役割りがあるのです。

個人活動報告

平成23年度 名古屋港管理組合議会 行政調査のまとめ

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平成23年8月29日(月)

10:45 県営名古屋空港集合
12:05 県営名古屋空港 発(FDA)
13:15 いわて花巻空港 着
15:30 釜石港調査
「東日本大震災のよる釜石港の被災状況及び復旧についての調査」
19:00 花巻市宿泊

平成23年8月30日(火)

10:30 大船渡港調査
「東日本大震災のよる大船渡港の被災状況及び復旧についての調査」
13:30 陸前高田市訪問
17:23 一ノ関駅 発(新幹線)
18:59 八戸駅着
19:30 八戸市宿泊

平成23年8月31日(水)

9:30 八戸港調査
「東日本大震災のよる八戸港の被災状況及び復旧についての調査」
八戸駅 発(鉄道)
青森駅 着
15:30 青森空港 発(FDA)
16:55 県営名古屋空港 着

釜石港の被害状況について

釜石市産業振興部 熊谷港湾振興課長からの説明

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倒壊した湾口防波堤を望む大平墓地公園展望台にて被災・復旧状況の説明を受ける

岩手県釜石市全体の被害状況について

  • 死亡者約890人、行方不明者約220人と1,100を超える犠牲者が出ている。
  • 市内約16,000戸の家屋のうちの4分の1にあたる約4,300戸が何らかの形で被災した。
  • 震災当時は約9,800人が避難所に避難していたが、現在は市内63箇所に3,164戸の仮設住宅ができた。仮設住宅に入ったり、アパートを借りたりして、現在、避難所での被災者は0人である。

岩手県釜石港の被災・復旧状況について

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ほぼ全壊した湾口防波堤北堤の残骸

  • 湾口防波堤は大型ケーソン方式が採用され、海底部に基礎石を敷いてマウンドを造り、その上にケーソンを設置するもので、一番大きなものでは縦・横・高さとも約30m、1函約16,000tの重さになる。さらにケーソン内に石砂を詰め総重量は40,000tにもなる。
  • 湾口防波堤には合計77函が設置され、北堤に44函、南堤に22函、開口部は水深19m下降して11函のケーソンが沈められていた。湾口防波堤は開口部も含め総延長は1,960m。北堤は990m、南堤は670mあり、一番深い所で水深63mの所にケーソンが設置された。世界で一番深い所に造られた防波堤ということで、平成22年にギネス記録に認定されている。ケーソンとケーソンは密着しているわけでなく、5cm、10cm、20cmと隙間は様々で、その隙間から強い水流が入って基礎のマウンド部分をえぐり、それによって前の方(外海側)に崩れた状況である。湾口防波堤は倒壊してしまったが、被害を軽減する効果はあったと考えられる。唐丹(とうに)湾・釜石湾・両石湾・大槌(おおづち)湾の4つの湾のうち、湾口防波堤がある釜石湾(8.1〜11.7m)は、周りの湾(12.5〜18.3m)に比べて浸水高が低かった結果が出ている。
  • 地元経済を支える新日鉄のような大企業が、今回は少しの浸水で済んだが、湾口防波堤がないと今の位置では工場が浸水してしまい操業を続けられないとの意向であり、市にとっては死活問題である。

釜石港公共埠頭での視察

  • 60cmから70cmくらい地盤沈下し、大潮の時には岸壁の縁が冠水する。県の方で大型土のうを縁沿いに積み、場所によっては防潮堤の上にポンプを設置して排水し、浸水が内陸へ広がるのを防いでいる。今後、県の方で岸壁の嵩上げを予定している。
  • 4月11日には港湾として使える状況になった。タイヤマウント式ダブルリンクジブクレーンは奇跡的に津波に耐えて残り、5月にはストラドルキャリアなども含め修理が完了した(県営港であるが、コンテナの荷役機械は市と関連企業が出資の第三セクター、釜石港物流振興?により運営)。
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地盤沈下で大潮時に冠水する岸壁・エプロン

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奇跡的に残ったタイヤマウント式ダブルリンクジブクレーン


釜石地区での視察(車中から)

  • 新日本製鐵(株)釜石製鐵所で使う無煙炭が台形の形で何ブロックも設置されていた。ちょうどそれが波をいったんブロックするような形になり、津波で流された新聞記者の方が、引き波の時に無煙炭のマウンドを超えて飛ばされ、上にポンと落とされた形で助かった話がある。
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記者が引き波の時に偶然上に乗り助かった無煙炭の山(画像奥)

両石地区での視察(車中から)

  • 高台に明治三陸大津波がここまで来たことを示す碑があるが、今回はそれも全部のみ込まれてしまう状況だった。

鵜住居(うのすまい)地区での視察(車中から)

鵜住居(うのすまい)町では、海のすぐ近くに小学校と中学校があって、よくテレビでも紹介されるが、群馬大学大学院の片田敏孝教授が津波避難のモデル校として、日頃から津波に対する訓練を非常にしていた。訓練のとおりに避難したので、両校に関しては、少なくとも当日登校していた生徒たちは誰一人犠牲者が出なかった。

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鵜住居地区の状況


大船渡港の被害状況について

大船渡市 佐藤議長からの状況説明

  • 大船渡港は県内の港湾貨物量の50%以上を取り扱っていた。平成19年3月に県内初の韓国・釜山港への国際貿易コンテナ定期航路を開設した。工業団地を造り、企業誘致して軌道に乗ってきたが、今回の震災で誘致企業の9割方が被災し、市の経済も大打撃を受けた。
  • 行方不明を含め死亡者は450人ほどで、三陸沿岸の中では少ない方であるが、これは宮城県沖地震が来ると言われ、3mくらいは来るというので、毎年、防災訓練に努めてきたところによる結果だが、今回の震災で一番高かった所は11.8mである。私どもの歴史にないような大津波が来たわけで、亡くなった人の大半が、ここまでは来ないだろうと思って津波を眺めていたのが実態である。

松渕港湾経済部長からの被災と復旧状況の説明

  • 大船渡市の特徴として、元々の水産都市に後で工業地帯を造り、工業団地に企業誘致をしてきた。もう1つは、(1)周辺の山で石灰石が採れることから基幹産業が立地していたこと(現:太平洋セメント(株))、(2)茶屋前地区の工業団地では様々な業種の企業が立地していること、(3)他のエリアでは水産業や水産関連加工業が立地していることである。
  • 今回の震災で、人々が活発に経済活動を行うエリアがそっくり流された(大船渡港沿岸の各町で6割から8割が被災)。現在は、ほとんどの瓦礫が撤去され、ただの空き地にしか見えないが、震災直後は凄まじい量の瓦礫が点在していた。
  • 丸太の木材・コンテナ・船が漂流物となって市街地に流れ込んでしまい、家屋などに当たって大きな被害が出た。漂流物対策は重要だが、重量物を止めるのは容易な話でなく、国・県と一緒になって検討していかなければならないと考えている。
  • コンテナ92本が流され、うち48本は見つけられたが、身は濡れていて使えず、所有権放棄などをしてもらい、瓦礫として処理している状況である。
  • 荷役機械は、財政上の理由から県で整備されずに地元企業が組合(大船渡国際港湾ターミナル協同組合)を立ち上げ補助を受けて購入した経緯(ハーバークレーン:約3億6,000万円、リーチスタッカ:約4,000万円)がある。ぎりぎりの財政の中で運営していたので、すぐに修理して事業再開できる状況にない。
  • 震災後、コンテナ船が入ってこない。港を使う企業がまだ復活できていないのと、福島第一原発の影響により、外国船社があの沖を通りたがらないようである。太平洋側では、欧州と韓国の船社は東京以北には上がってこない。ようやく韓国の船社が仙台港へ入ることになったが、北海道から下りてくるだけである。国内船社は事情が分かっているので、国内の内航フィーダーは入ってくるが、外国船社は厳しい状況である。
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被災した工業団地

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被災した市街地

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全損して使用不能となったハーバークレーン(後方)


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SOLASフェンスの残骸

公共埠頭の視察(車中から)

  • SOLASフェンスは破壊され流されて全部なくなってしまった。

※「SOLASフェンス」とは2001年9月のアメリカ同時テロを発端に国際テロの阻止を目的として港湾施設の保安体制強化のために設けられた頑強な侵入防止策。

陸前高田市の状況について

陸前高田市市長室 柄澤主幹からの支援状況説明

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陸前高田市役所仮庁舎

  • 他都市に比べ職員で亡くなった方が多い点、また、行政機能の喪失といった点でも、陸前高田市は非常にひどい状態であった。
  • 名古屋市は大都市として何かできないか、震災直後から色々検討する中で岩手県にも入って色々と被災地を回ったが、やはり陸前高田市が一番大変だという結論になった。
  • 4月7日に支援することが決まり、4月22日から第1次支援隊で9名、5月11日に第2次支援隊で20名と順次職員派遣をして、現在、約30ポストに名古屋市の職員が派遣されている。
  • 期間としては、一番長い職員は来年の3月31日まで1人の職員がこなし、短い職員でも約1か月のローテーションで入る。
  • 陸前高田市は51名の職員派遣を他の自治体から受けているが、そううちの約30名が名古屋市から派遣されている。他の派遣職員はほとんどが岩手県内の自治体の職員で、遠方からこれだけの大人数が来ているという意味では、名古屋市の派遣の内容は特徴的であると考えている。
  • 福祉、復興計画、今後の防災計画の作成などの業務に派遣されている(計36名、別に連絡調整・後方支援3名、8月1日現在)。
  • 職員派遣以外にも以下のような支援を行っている。
  1. 災中学生への「復興応援自転車」の提供、
  2. 陸前高田市への事業進出や雇用創出を通じて復興支援を考えている企業に地元のニーズを伝え、マッチングを図る「陸前高田産業支援デスク」の設置、
  3. 陸前高田市職員の健康診断の実施、
  4. 漁港を中心とした津波被害を受けた所にウジがわきハエがたくさん発生したので、名古屋市の生活衛生センターの職員が赴き消毒を行った支援、
  5. なかなか修学旅行にも行けない状況だったので名古屋市から申し入れ、市内中学校6校のうち4校に来ていただく「陸前高田市の子ども達を名古屋市へ招待するプロジェクト」は、既に1校が終わり、9月以降も残り3校が予定されていて、市民の寄附などによって経費が賄われている。

八戸港の被害状況について

国土交通省 八戸港湾・空港整備事務所 神山所長 小杉企画調整課長からの被災・復旧状況説明

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ほぼ全壊した八太郎北防波堤

  • 八太郎北防波堤(総延長約3,500m。釜石港・大船渡港の津波対応の湾口防波堤と違い、高潮・高波対応の防波堤)においては、中央部はケーソン60函が転倒・水没、ハネ部はほとんどないような状態でケーソン44函が転倒・水没、先端マウンドが洗掘された。ハネ部ではケーソンの当初据付位置から最大で100m以上流された所がある。防波堤上から見て、ほとんどのケーソンが港内側に転倒している。※八戸港の津波対応の防波堤は白銀西防波堤(総延長970m)
  • ポートアイランド隅角部においては、ケーソン3函が転倒・水没した。ケーソン3函の前面は深く洗掘された。
  • 中央第1・第2防波堤においては、端のケーソンが1函ずつ、マウンドの洗掘があって転倒・水没した。
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消波ブロック設置工事

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ほぼ全壊した八太郎北防波堤(ハネ部)

  • 八太郎北防波堤は原形復旧することが基本になっている。現在、本体工のケーソンを据える所に影響がないよう、散らばった消波ブロックを消波工に並べ、港内の静穏度を確保する工事を先に行っている。散らばった消波ブロックの作業は全て終わり、起重機船5隻で消波工の上の所に消波ブロックを設置している状況で、中央部の沖の方150m前後が完了、台風時期までに造り終える。
  • 八太郎北防波堤やポートアイランドが浸水被害の軽減に相当効果を発揮したと、市民から意見が出ているし、場所ごとの浸水高の状況をみても、うかがい知れる。
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消波ブロック設置工事

昔、八戸市の前には海岸しかなかったが、防波堤・岸壁などの港湾整備とともに、海沿いには工業用地が造成されてきた。
以前、馬淵(まべち)川と新井田(にいだ)川は合流し海に注いでいたが、洪水対策で両河川の河口は分けられた。旧馬淵(まべち)川の川底は浚渫されて内港航路に、河川沿いの土地は工業用地として整備された。馬淵(まべち)川の流下土砂は
多く、浚渫土によりポートアイランドが造成されてきた。
今回の地震で馬淵(まべち)川の河口から10km以上津波が遡上したが、河川の決壊までには至らなかった。

この視察を受けて八戸港湾・空港整備事務所
神山所長との質疑応答

Q.名古屋市でも地震は、いつ起こるか分からない。港湾地区は住んでいる人以外に、常時来る人や初めて来る人と色々な人がいるので、それらの方々をどう避難させるかが大きな問題であるが、大変被害の少なかった八戸港では、どんなことに重点を置かれて訓練を行ってきたのか。

A.避難訓練などを行っているようには聞いているが、市のことなので詳細は分からない。
私どもは若い時から、地震が来たら逃げろと教わってきて、防災意識は高い。
復興会議などでも、通常は電気設備を地べたに設置するところを、最初から想定して1mくらい高く設置していた企業の話があった。
避難タワーがあればよいとか、自分の所の建物を避難施設に指定してもらって構わないという話が出ている。

Q.今後、防災訓練の充実も含め、埠頭ごとに避難所的なものを整備していくのか。

A.要望と必要性があれば検討することになる。既存の建物を避難施設に位置付けるとか、ない所には建てるとか、そういう検討は当然していくことになると思われる。
県市で整備していく話になるが、費用をどうするかの課題がある。

Q.港全体での防災訓練は行われていたのか。

A.各学校や企業で防災訓練が行われている。
市のことなので詳細は分からないが、埠頭でも行われていると思う。

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